彼女は出版会社のタイピストをしており、ある夜、その出版会社から出ている雑誌を鶴雄に貸してくれたことが切っかけで、講習会場で顔を合わすと、時どき話し合うようになった。お互いの名の鶴の字のあることも、ちょっとした偶然として、話題になった。
 しかし、やがて講習会が済むと、もう顔を合わす機会もなく、鶴雄は簡単に忘れてしまった。
 ところが、田鶴子はいつの間にどこで鶴雄の住所を調べたのか、昨日いきなり速達の手紙をよこしたのだ。
「あれから毎日あなたのことを懐しく想い出しております。あなたは多分もうお忘れでしょうけれど……。おいやでなければ、もう一度お眼に掛りたいのです。四月二十日、十一時、円山の桜の下で待っております。(鶴)」
 こんな意味のことが英文のタイプで打ってあった。一寸気ざっぽい。
「なるほど、英語だと、恥かしいことも、案外平気で書けるわけだな」
 苦笑しながら、鶴雄は家を出たのだが、しかし、はっきりと田鶴子に会うという気持はなかった。
「東へ行こうか、西へ行こうか。――会うか会うまいか」
 大橋の袂に佇んで、鶴雄はハムレットのように呟いていたが、やがて何思ったのか、ズボンに手を突っ込んで、小さな象牙のサイコロを取り出すと、
「偶数が出れば東だ!」
 ひょいと掌の上へ転がした。

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