確実に他人に用意させる準備が必要になると浜田は考えた。
 IBMはPCの開発中に、ビジネス用として人気を博しているソフトウエアのメーカーを中心に移植を働きかけ、マシンと同時にビジカルクやイージーライターなど、利用可能なアプリケーション八本を発表していた。
 この例にならおうと考えた浜田は、プロジェクトチームの第一の柱として、応用ソフトワーキンググループと名付けたアプリケーションの開発促進チームを置いた。このグループのチーフには、ソフトハウスの調査を担当させた早水潔を据えた。
 具体的にどのようなマシンを作るのか、細部の仕様を煮詰めていく製品計画ワーキンググループのチーフには、オフィスコンピューターの製品計画を担当してきた小澤昇を指名した。
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