私は起きて、押入れの中から、私の書いたものの載っている古雑誌を引張りだして、私の分を切抜いて、妻が残して行った針と木綿糸とで、一つ一つ綴り始めた。皆な集めても百頁にも足りないのだ。これが私の、この六七年間の哀れな所得なのだ。その間に私は幾度、都会から郷里へ、郷里から都会へと、こうした惨めな気持で遁走し廻ったことだろう……
 私はまったく、粉砕された気持であった。私にも笹川の活きた生活ということの意味が、やや解りかけた気がする。とにかく彼は、つねに緊張した活きた気持に活きるということの歓びを知ってる人間だ。そしてそのために、あるいはある場合には多少のやりすぎがあるかもしれない。しかしそれでもまだ自分のような生きながらの亡者と較べて、どんなに立派で幸福な生活であるか!
 四五日経った。土井は私に旅費を貸してくれた。子供らへの土産物なども整えてくれた。私は例の切抜きと手帳と万年筆くらい持ちだして、無断で下宿を出た。
「とにかくまあ何も考えずに、田舎で静養してきたまえ、実際君の弱り方はひどいらしい。しかしそれもたんに健康なんかの問題でなくて、別なところ来てるのかもしれないが、しかしとにかく健康もよくないらしいから、できるだけ永くいて、十分静養してくる方がいいだろう。もっともそうした君を、田舎でも長く置いてくれるかどうかは、疑問だがね……」
 上野から夜汽車に乗る私を送ってきてくれた土井は、別れる時こう言った。
自動車保険 ランキング2013 http://ransui.p.ht/Home/