凡庸なヴィーンの聴衆もこの巨人的作品にはさすがに圧倒せられた。ヴィーンの朝三暮四流もそのため一時は熱狂した。しかし彼らの口には結局ロッシーニとイタリア歌劇の味の方が適していた。ベートーヴェンは屈辱と悲しさとを感じてロンドンへ住みに行こうとした。彼はそこで『第九』の演奏をさせるつもりであった。一八〇九年の場合と同様に今一度、ベートーヴェンがオーストリアを去らないようにと彼に懇願したのは、彼の味方である数人の貴族たちであった。――彼らは書き送った――「あなたが一つの新しい宗教音楽曲(67)を作曲せられ、あなたが深い宗教的信仰から霊感されていられる感情をその作によって表現せられたことをわれわれは承知しています。あなたの偉大な魂を貫流するこの世ならぬ輝きがお作を照らしています。さらにまたわれわれは感じています。まだ完成していないすばらしい幾多の交響曲の花の鎖のなかには、さらに一つの新しい不朽の花が咲き出ようとして輝いていることを。……万人の眼が待望の中にひたすらあなたに向けられていることは今さら申すまでもありません(68)。越谷 歯医者 http://akiya.intelligencemall.net/
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