しかし、彼はついにダブリンに落着き、新しく建てられるアイルランド文芸座のためにイエーツやグレゴリイ夫人と共に劇作することになつた。それは一九〇二年ごろである、初めて書いたのが「海に行く騎手」であつた。これは荒い海と闘ふ漁師たちの生活をアラン島の人々の言葉で書いたもの。それを手はじめに「谷かげ」「聖者の泉」「西の人気者」など矢つぎばやに書いたが、あまり丈夫でなかつた彼はひどく健康をいため、一九〇九年、三十七の年、ダブリンの病院で死んだ。病中書いてゐた「悲しみのデヤドラ」は完成しずにをはつた。婚約の女優メリイ・オネールが始終彼を見舞つてゐたが、或る日シングは彼女に「死ぬのはつまらないことだ」と言つて、あとを何も言はなかつた。この言葉はシングの戯曲の中にも出てくる。それからグレゴリイ夫人の伝説のなかにも、わかき英雄クウフリンが自分の親友と闘ひながら「お互に、勇士の生命は輝かしい、生きてゐよ、死ぬのはつまらないことだ」といふところがある。アイルランドの人たちは、聖者も詩人も勇士も、漁師も百姓もすべて現実派であるらしい。死といふものに彼等はぜつたいに何の夢も持つてゐないやうである。われわれ日本人もいま、死についての夢は振りおとしてゐるけれども。
 イモをながめながら私は「アラン」の映画を思ひ出し、「アラン」からシングに飛び、シングから二十世紀の朝の希望に充ちた世界に飛んで行つた。眼の前のイモは五分前とも三十分前ともすこしも変らず春日に乾されてゐる。
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